イシャヤな毎日

20年ぶり

2018/03/25 13:44 に Kusum Ishaya が投稿

時折、昔アセンションを習って下さった方からご連絡をいただくことがあります。
日本にあったセンターが閉じられたのが17年前、それから一人でずっとアセンションを続けて下さった方々や、久しぶりに
思い出してもう一度やってみたい、とおっしゃってくださる方から連絡を頂くのは、本当に嬉しいことです。

しばらく前にも、20年前にコースを受講下さったという方が、久しぶりにコースに再聴講したい、と連絡をくださいました。
私が習ったのは18年ちょっと前ですので、私より先輩です(^^)。

連絡を取り合う中で、コース前にビデオチャットで少しアセンションの仕方のおさらいをしましょう、ということになりました。
現役の会社社長さんですので、日々お忙しいのに、会場探しに助力下さったり、使用したことがなかったアプリをビデオチャットの
ために準備下さったり、一緒にアセンションできる機会のために、貴重な時間を割いて何事も快く取り組んでくださいます。

ビデオでのセッションを無事開始、アセンションの仕方のおさらいをし、一緒に目を閉じてアセンション。。。。
本当に20年もの間、一人で続けて来られたのだな、というのがよくわかり、とても心を打たれました。

”アセンションって、素晴らしいでしょう?私たちの伝えている、このテクニックを素晴らしいと思って下さって、続けて下さってありがとう”、ということではないんですね。。。

深いところで求めているものがあって、たまたまアセンションに辿りつくに至った。ご自分の中に、存在の根本に向かいたい、生命の
もっとも深い現実を知りたい、というどうしようもない願いというものがあって、アセンションを通してそれを見つめ続けている、
そういったとても純粋な献身が伝わって、触れ合うたびに小さく打たれてしまう、驚きを隠せないのです。

やっぱり、誰もが同じもの、たった一つのものを求めているんだな、
という思いが新たに湧きます。

来月、実際のコースで一緒にアセンションできるのが、一緒に”それ”を見つめる、ただありのままに返ってくつろぐ時間を共に過ごすのが、
とても楽しみです。


2018年4月 日本でのコース開催のお知らせ

2018/03/15 12:44 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2018/03/15 12:55 に更新しました ]

2年ぶりに横浜地区でコースを開催することになりました。今日はコースに関して少し、説明させていただこうと思います。

各種コースのページでご紹介していますが、初めて習う方のためのコースは、ファーストスフィアといいます。このコースでは賞賛、感謝、愛、慈悲にもとづく4つのテクニックをお伝えします。

コースは3日間、テクニックに関する説明と実践を交互に行います。3日間、説明を聞きながら実践し、体験を分かち合い、わからないこと、不安なことがあれば質問する、ということを繰り返すことでこのアセンションという手法に慣れ、コース後通常の生活に戻った中で、より簡単に自分一人で実践していけるようになります。

と書くと、”学びの場”という感じを受けるかと思いますが、どちらかというと”休憩の場”といった方が合っているかと思います。

私たちの多くはたくさんの、”こうしなくてはならない”、”こうあらなくてはならない”という考えに縛られながら、忙しい毎日を頑張って生きています。何かがしっくりこない、と思っても、疲れたな、と思っても、中々立ち止まることはありません。イシャヤのアセンションは、少しの間立ち止まり、自分の本質、色々な色が塗られる前はどんな風だったのか、すべての荷を下ろして思い出してみる機会を作ってくれます。多くの人が必要なのは疲れた神経に、新しい知識をつぎ込むことではありません。むしろ必要な深い休息を取ることで、自然に自由な感覚に返る、その機会を自分に与えてあげることです。イシャヤのアセンションはその機会を自分に贈るための手法です。

アセンションを習うにあたっては、これまで瞑想の経験があっても、なくても構いません。
また一度料金を払って受講すると、その後は世界各地で開催されているファーストスフィアに、無料で参加・再聴講することができます。もちろん、個人でただ続けていく、という方が合っている方には参加は一切強制されません。

日付・料金・会場・申し込み方法については、こちらのページをご参照下さい。

日本でのコース開催のお知らせ

2016/02/17 16:31 に Kusum Ishaya が投稿

昨年に引き続き、今年も4月に日本でコースを開催することになりました。とても楽しみです(^^)。

このブログでも何度も触れていますが、イシャヤのアセンションのシンプルさ、簡単さはとても大きな魅力です。

また、どんな時にも行える、というのも大きな魅力の一つです。ただ短いフレーズを思い浮かべるだけなので、場所も服装も時間も環境も選びません。

アセンション仲間の一人は、こんなことを言っていました。

”かつて僕にとっては、釣りをしている時間が唯一至福の時だった。日常のすべてを忘れ、すべてのしがらみから自由になって、ただ風と、自然と、水と一緒にある。すべてから自由になって、我を忘れることができる唯一の時間だった。

アセンションに出会ってから、僕は釣りに出かけるまで待たなくていいようになった。心の自由時間は、持ち運び自由となり、旅する必要はなくなった。今も釣りの旅は大好きだけれども、そこに逃げ場を探す必要はなくなった。”



すでに習ってくださった方、新しく参加くださる方、皆さんに出会えるのを、心から楽しみにしています。

コースの詳細は、こちらから。


アセンションの贈り物

2016/02/09 15:56 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2016/02/10 16:04 に更新しました ]

今週末はアラバマ州でコースを開催しました。地元から遠方から、新しい人、すでに習った人がたくさん来てくれて、
本当に楽しい、素晴らしいコースになりました。

すでに習った人たちの中には、もう10年以上続けている人から習って3ヶ月目の人まで、いろんな方がいました。

うち何人かは、私もアセンションを通じて長年知っている仲間ですが、みんなが自分の体験を話してくれるのを聞きながら、
数年前、あるいは数ヶ月前の彼らを思い出し、その変化に新ためて感慨を覚えたり。

3ヶ月前に習った、という人たちの、最初の感想と、それがどんな風に変化したか、という話に心を打たれたり。

変化は実際、最初のコースの最中に顕著に現れます。

たった3日間のコースだけれど、参加者のみんなは日を追うごとに顔が変わっていきます。
文字どおり、顔が変わっちゃうんです(^^)。

顔が柔らかくなる、というのは一番気づくことですが、子供のような無邪気な顔になっていく人も多々見ます。
すごく左脳的な人のガードが崩れて、力が抜けた結果、疲れているかように見えることもあります。

今回は学生時代フットボール選手だったという、それはそれは大柄な男性と、その仕事仲間でこれまた巨体の男性が
来てくれて、とても瞑想に興味を持つタイプに見えなかっただけに、非常にワクワクしたのですが、この巨体の男性は
3日目には目が大きくなっていました(^^)。

半年前に亡くなった奥様のことをみんなに話して涙ぐむような、とてもオープンな人でしたが、同時に”組織には自分は
合わない。必ず気に入らん奴が見つかるんだ。ふふん。”といった、斜に構えた姿勢が習慣になっていたので、目も
そういう風に横目になっていたんですね。

それが最初のアセンションで、”いや〜、くつろげるわ。これ簡単でいいわ。”
そして翌朝には、”いや、ぐっすり寝れたよ!息子にも習って欲しいな。” 

続くコース中は、部屋がぎゅうぎゅうだったので、ここで初めて知り合った女性たちと、仲良く並んで横になって
アセンションするほどくつろいでくれ・・・

3日目にはすっかり防御が取れ、安心とくつろぎの結果、目はまっすぐ開かれて、自然に丸く、大きくなっていました。


私自身の変化は、”喉元過ぎれば熱さを忘れる”といった感じそのもので、普段はすっかり忘れて思い出せなかったりするのですが、
こうやって出会う人たちの変化を目の当たりにした時、”ああ、自分もこうだったなぁ”と、いろんなことを思い出したりします。

初めて習った時、イシャヤのアセンションが簡単・単純すぎてがっかりしたこと(笑)。
物事を頭の中で複雑化することに慣れすぎて、単純なものを単純にすることができす、無用な努力を継ぎ足していたこと。

アセンションに出会った頃、私の人生は恐れへの反応が基盤となっていました。

それがこの単純な瞑想法を続けるうちに転換し、今あることへの感謝がとてつもなく広がりました。

何かが起きるたび、無条件に感謝の気持ちが湧いてしまうのに気づくと、自分でも当惑する時があります。

人生はあんなに思うようにならない、気に入らない、不満足なものだったのに。
理由もなく、静かな喜び、ありがたみがふつふつとわく、自然にそこにあるのには、驚きを感じます。

そしてさらに自然に、アセンション・アチチュードが思い浮かびます。

”自分の本質がなにかは、誰もが一番よく知っていることよ。誰もそんなこと教えることはできないし、教わらなくてはならない人
なんて一人もいないのよ” というのは、私の師がいつも言うことです。

悟り、本質に目覚める、といったことは、私たちの本来ごく自然な状態なので、自然にしょっちゅう起きることですが、
目覚めたままでいる、というのは簡単には起きません。

これまで培ってきた習慣、眠りにコトリ、と落ちます。

”イシャヤのアセンションはどうやるか、じゃない。在り方を教えてるんだ。” と言ってくれたのは、元フットボール選手の彼ですが、

この自然さで、単純さで、静かな美しさで、繰り返し目を覚ますことを可能にしてくれる瞑想法に出会えたことに、
深いありがたみを覚え続けます。


無邪気さへの回帰

2016/01/12 10:08 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2016/01/14 13:04 に更新しました ]

今日は、年末に心を温めてくれた、たかし君とのやり取りをご紹介したいと思います。


たかし君は昨年、東京でコースを受けてくれたんですが、便利屋さんをお仕事としていて、請け負った修理・修繕、その他の

仕事をブログにアップしています。ブログからは、請け負った仕事ひとつひとつに対する深い感謝が伝わって、仕事への姿勢がアセンションそのものだなぁ、と、読むたびに感謝が湧きます。

そんなたかし君から、”アセンションは最近、浅くなったような気がします。”という報告をもらいました。

詳しく聞かせてくれるかな?というリクセストに、こんなお返事が返ってきました。


『瞑想しても、静かな感じや緩む感じが前よりも少なくなっているような気がしています。

それから、初めのころは物凄く深く緩んで思考がなく、体や周りの音とすべて一体みたいな感覚が有るときもあったけど、それは今はないですね。

というか、今の状態は今の状態で、そのままそれなんですが、^^無邪気さを忘れて、過去を

求めていますね。^^

イシャヤの瞑想に対しては、今はそんな気分です。

ビパッサナは年に1度はコースに参加して、ダンマの大河に浸りなさい、と推奨しているのですが、イシャヤもそれができたらな~と、最近とても思います。

一人では出来ないことも、みんなとなら出来ると思うので。日本にイシャヤが拡がり、近くで集まって瞑想会できたらホント幸せです。』


最初の頃、とてもいい経験ができたのね(^^)。

「人とアセンションするときに比べて、一人でアセンションすると静けさが体験できない。」

「コース中と比べて、家に帰ってアセンションするとやりづらい。」

というのは、アメリカでも日本でも、よく聞く感想です。

経験というのは常に変わるものですが、マインドは”好みの経験”を決めて、しがみついて、同じ経験を求める性質なんですね。

良いも悪いもない、ただ、そういうものです。


また、初めて習ったときは無からの経験で、新しいものの衝撃がはっきり感じられますが、同じ経験が続けばやがて慣れ、

目新しさは失われます。暗い部屋から明るい太陽のもとに出たら、最初は眩しいですが、ずっとそこにいたら慣れるのと

同じですね。

静けさやゆるむ感じはその対照を持って初めて経験されます。

ー騒音があって静けさがあるー

ー緊張があって緩みがあるー

なので、もし”経験”を追い求めるならば、より深い静けさを経験するためには、より大きな騒音を、より深い緩みを体験するためには、よりきつい緊張の体験を必要とします。

二つの極の間で揺れ続けることは、苦しいものです。

最初は、好みの側に振れている時は気にならなかったりしますが、やがてこの止まらない、終わりのない揺れに疲れます。

たかし君は幸い、自分が経験を追っている、ということにちゃんと気づいていました。

そしてすぐ、こんなメッセージを届けてくれました。


『アセンションするとき、長い間無邪気さを忘れていたなと、思います。

無邪気さが、とっても重要なのを今朝思い出しました。 ただ、その言葉なんだと。

ありがとうございます。』


ありがとう(^^)!

アセンションは、どんなに経験が変わっても、それに一切影響されない私たちの自然な本質をあらわにします。

無邪気さというのは、私たちの(すべての存在の)本来の、ごく自然な性質であり、条件付けられたマインドの動きの中から作り出せるものではありません。

これは私たちの、すべての存在の本質であるがゆえに、ただ機械的に、淡々とアチチュードを思い浮かべる時、ごく自然に復元されます。

”ただアチチュードを思い浮かべる”

それ自体が限りなく無邪気なんですね。そして無邪気さは限りない自由でもあります。


今年も4月に日本でコースを開催することにしました。詳細はまた後日掲載しますが、またみんなと一緒にアセンションできるのを心から楽しみにしています。


アリゾナ・リトリートの感想

2015/12/26 20:44 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2018/03/02 11:51 に更新しました ]

以下はアリゾナで行われたリトリートに日本から参加してくださった、竜治さんが送ってくれた感想です。

****************************

2015年11月に、アメリカ・アリゾナで行われたリトリートと、その前のファーストスフィアに参加させていただきました。

いろいろな瞑想や修養法を実践し、それらに一抹の違和感を感じていた私にとって、「努力しない」「特定の対象に集中しない」
「特定の姿勢を維持しない」などのフレーズはなんとも魅力的に感じ、東京でのコースに勇んで参加、その結果として、
今回のリトリートでした。

英語がほとんどできず、しかも初の海外であった私。
実際どうなるのか、皆目見当もつかないまま、流れのままにアリゾナへ飛んだわけですが、
そこに参加された方々は、みな親切でフレンドリー、本当にありがたく、大変に快適でした。
そこらじゅうでユーモアで笑いが起きるし(笑)。

おしきせのルールも堅苦しさもなく、朝何時に起きるのも夜寝るのも自由。
私は、朝4時から5時に目が覚めてしまうので、そこから起き出して瞑想を開始し、夜の食事〜ミーティングまで、
そのほとんどの時間を瞑想に費やすことができました。
もちろん、その期間中にもアティチュードを受け取る機会も用意されていて、
こちらの意思や様子などを見つつ、その機会が作られていきました。

カーリー、バガヴァティという二人の教師たちのいる空間。
そこは、濃密で厳かでありつつも、慈悲に裏打ちされた安心感と明晰さに満ちていました。
どこまでも瞑想の中に浸ることで、心の奥にこびり付くようなストレスや記憶の残骸、自身のこだわりやとらわれが当然のように起きてきます。
個という幻想、一切の幻想…起きることを起きるままに、多彩多様な体験、経験もすでに幻想…。

私には、こういう時間、こういう空間が必要だったのだな…。
ストレスが抜けていくにつれ、その実感も高まっていきます。

最終日、カーリーたちに「あと半年くらいはいたい」と直訴してしまいましたが(笑)、そのくらい、心の奥深くから快適さと安逸が感じられていたということなのでしょう。
自分事ながら、そう思います。

さて、最後になってしまいましたが、まずは、今回の機会を作っていただいたボー&クスム夫妻に、厚く感謝したいと思います。
お二人とのご縁によって、今回の貴重な体験、経験、そして出会いがあります。

イシャヤのアセンション。
ふとした瞬間、何かあってもなくても、瞑目してもしなくてもアティチュードを思い浮かべる。
この、シンプルだけれど叡智に満ちた方法を、大切にしつつ日々を生きます。

ありがとうございました。

*****
竜治さん、本当にありがとう。

3人の勇者たち(^^)

2015/11/19 12:09 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2015/11/20 20:59 に更新しました ]

ちょっと間抜けな題名ではありますが・・・文字通り、3人の勇者がアメリカでのリトリートに参加してくれました。
日本とは全く違う環境、言葉も思うように通じない中で、すべてに全身で飛び込み、取り組んでくれた姿は、まさに勇者という言葉がぴったりでした(^^)。

到着はラスベガス。リトリートが始まる前にウォルマートでお買い物なんぞも体験。

リトリートでの生活は、ほとんど一日、目を閉じてのアセンションに費やされます。

Aさんは外でのアセンションがお気に入り。目に入る空や緑が綺麗すぎて目を閉じられないから、と、頭まですっぽり毛布をかぶって毎日アセンション。

Rさんはリビングのソファに埋まりきってアセンション。すぐ隣の台所の物音も、人の話し声も物ともせずアセンションに浸る姿に、みんなも釣られてリビングでアセンション(写真はないけど)。

時には目を開けてアセンションしながら、川まで散歩に行ったり。

フリスビーの投げ方を習ったり(笑)

初めて習って、なんとそのままリトリートに参加したHさん。目を閉じてのアセンションにも、開けてのアセンションにも、まったくの自然体で臨んでくれました。いきなり習ってリトリート参加、大丈夫かなー?と、ちょっとは心配したのですが、毎日小さな子どものような笑顔にかえっていくのを見て、幸せな気持ちになりました。

今回は総勢22人。通訳つきのリトリートはみんな初めて。でもすっかり3人の純粋さに打たれて、とても勉強になったとみんなが喜んでくれました。
Rさん、Aさん、Hさん、あなたという贈り物をありがとう。来てくれて本当にありがとう。

共に今、アチチュードを思い浮かべてくれてありがとう。
これを読みながら一緒にアセンションしてくれているみんなも、ありがとう。


インディアナ・リトリート

2015/10/23 8:08 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2015/10/26 17:52 に更新しました ]

インディアナでのリトリートに、数日だけ参加することができました。
夜のミーティング、アセンションから起きあがる参加者・・・


すでに習っている方には馴染みのあるこの光景(^^)。

会場は一般家庭。
広いお家なのは間違いないのですが、そうは言ってもシャワーが2つ、トイレ4つの環境に、18人が1週間入るのですから、すごい状況です。

リトリートでは日頃の様々な習慣を離れ、アセンションを基盤に生活するので、特にスケジュールはありません。
アセンション・アチチュードを思い浮かべる、という以外、”ルール”はありません。

夕食当番はありますが、お片づけは当番なしに、勝手におきます。


誰がいつシャワーを浴びる、なんて割り当てはもちろんありません。
それで全てがほぼスムーズに流れるのは、ほとんど奇跡としか言いようがありませんが・・・

それはもちろん、参加者全員が、どんな場面でもアチチュードを思い浮かべるのが目的である、
あるいは、お互いにそれを思い出し合うのが目的である、とわかっているからです。



仕事がとんでもなく忙しかったり、家族に不幸があったり、育児に追い回されたり・・・

様々な状況から休息を取りにみんな参加してきます。

毎日アセンションしてる人、教師、初めてリトリートに参加する人、ほとんどアセンションしてなかったけど、15年ぶりに参加したという人、教師養成コースに臨む準備をしている人、参加者の経験は様々です。

”日頃の生活の中では、アチチュードを思い浮かべるのは難しい”
”わかってるけど抵抗を感じる”

なんて経験を分かち合ったり、

”子供達が寝る前、ベッドのそばでアセンションして座っててほしい、とせがまれる”
なんて経験を分かち合ったり。ママが何してるかわからないけど、アセンションしてるママのそばにいるのが好きなんだそうです(^^)。


そしてアチチュードとともに、深く、深く沈み込み・・・

”役割”も、”名前”もない、本来の自己の性質に溶けていく。
長い時間そこに浸かって、全ての幻想がもとに帰っていくのを眺める。

淡々と一日中アセンションを続ける仲間に囲まれると、無理なく、自然にアセンションが起きる、というのはあります。
1週間はあっという間に過ぎてしまう、というのが多くの人の感想です。

私は週末のコースがあるため、全日程に参加できなかったのですが、久しぶりに準備段階から参加することができました。
会場を準備して参加者を迎え入れる、その過程でも、アセンションを通して一(いち)なるものを見つめ続けることだけがおきます。

そして・・・今夜からは9月に日本でミーティングを開いてくれたデビとともに、フロリダでファースト・スフィアです。
どんな人たちに出会えるのか、とても楽しみです(^^)。



リトリート

2015/09/07 16:29 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2015/09/13 18:21 に更新しました ]

リトリートは日頃の生活習慣から離れて、アセンションを通じ、条件反射的に生きるのではなく、ただ在る、ということを経験したり、そこに深く沈むことができるとても貴重な機会です。それは教師にとっても例外ではありません。今日は以下に、ボーのリトリート・レポートを紹介します。

*******

つい最近、ノースカロライナ州で7日間のアセンションリトリートに参加し、一日のほとんどを目を閉じて、アセンション・アチチュードと呼ばれる小さな貴重な祈りに費やした。そして今日、アセンションのリトリートは真の意味での安息日だ、ということに気がついた。

馴染みのない人のために説明すると、安息日というのはユダヤ教やキリスト教の伝統で、信者は土曜あるいは日曜一日を世俗に影響を与えずに(世に自分の意志を反映・影響させることなく)過ごすよう求められる。よって仕事に行くことも、宗派によっては料理をすることも許されない。休むことを命じられるのだ。

リトリートでは目的ある活動を脇におき、アチチュードを繰り返すことを通して、私たちの本質の真実に目を向け続ける・・・長時間、目を閉じて。

もちろん、そこに見つかるのは無であるが、それは概念的な無ではなく、生気ある、純粋な可能性の、活力に満ちた空だ。同じく大事なことに、私というもの、幼い頃からあると想像し続けてきた、自立した個人というものも見つからない。自分、として想像していたものが、実はただ、無が創造物として、一つの思考、一つの感情、一つの感覚、一つの呼吸として、一つずつ現れているだけであるのを知る。現れに気づくこと自体も、現れである。個人の意志、決定者、考える人、行動者といったものが存在したことなどなかったのだ。個人性を想像しただけなのだ。

そこに、エゴを打ち砕く真実がある・・・そしてそれは、安息日の真の意味をあらわにする。

安息日というのは、世俗に影響を与えない(自分の意志を反映させない)ことを実践することなどではなく、むしろ個人として影響を与えた試しなどないのだ、ということに気づくことなのだ。肉体ー世界は神の創造であり、ただ神のみの創造なのだ。僕たちは神の現れなのだ。

*******

ハードコアなレポートと裏腹な、ボーのアセンションスタイル。日差しを避けるために帽子を目深にかぶってたようなのですが、珍光景を誰かがしっかり画像に収めたようです(^^)。


原文はこちら

I recently spent seven days at an Ascension retreat in North Carolina, spending most of the day with my eyes closed, using the precious little prayers we call Ascension Attitudes.  Today I recognized this retreat as the real Sabbath.

For those of you unfamiliar with Sabbath, in the Jewish and Christian tradition there is a Sabbath on Sunday or Saturday where followers are commanded to not have an effect on the world and thus not allowed to go to work and in some cases not even cook.  We are commanded to rest.

In retreat, we put aside purposeful activity and through repeated use of the attitudes, we continuously return our gaze to the truth of our nature....for a long time, with our eyes closed.

Of course, our gaze finds nothing, and not a conceptual nothing, but an alive, vibrant emptiness of pure potential.  Just as importantly, we don't find our self, we don't find the independent person we've imagined since a young age.  We see that what we imagined as our self is simply nothingness emerging as creation, one thought, one feeling, one sensation, one breath at a time.  There is no person coordinating this emergence.  The recognition of the emergence itself is emergence.  There was never independent personal volition, a decider, a thinker, a doer.  We imagined our own personhood.

And therein lies the ego-shattering truth...and it also reveals the real meaning of Sabbath.

Sabbath was never about practicing not having an effect on the world but was rather about realizing that we never did.  The body-world is God's creation, and only God's creation.  We're God's emergence.

********

私自身も11月に、日本から参加して下さる方々と一緒に、アリゾナ州でリトリートに参加します。久しぶりのすべてを捨てられる時間、今からとても楽しみです。

ミーティングの価値

2015/08/07 11:37 に Kusum Ishaya が投稿

4日のミーティングに参加してくれたみなさんから、複数素敵な報告を頂きました。みんな本当にありがとう!
今日はその中から、けいこさんのメールを紹介させて頂きます。

*********

ミーティング行って来ました。行って良かったです。

この四月下旬から一応毎日アセンションしていたけれど
毎日と言っても一番目を2〜3回くらいの所までしか覚えていない日がほとんどでした。

つまり寝落ち。

朝は早めにアラームをセットしてベッドから出る前にアセンションするのだけど、
結局寝落ち。はっと気づくと二回のアラームが(^^;;

毎日疲れ過ぎ、寝不足過ぎなのでそんな感じになってしまう。

アセンションしたからと言って何がどう変化したのかしないのか
何に気づいているのか、よくわからない状態も続いていたので
時々へこたれそうにもなりました。

そんな中、やはりミーティングで何度も繰り返しアセンションのしくみ(?)を聞いて
再確認すると、へこたれそうな気持ちがリセットされます。

デビさんがフロリダではしょっちゅうミーティングしている、と言っていたけれど、
成る程、仲間と経験をシェアすることで、さらに違いにインスパイアされ合う
メリットは大きいですね。

ミーティングから帰って来てから気づいたのだけど、
やりたくない家事をしながら
苦手な書類仕事で居眠りしそうになりながら、
ぐるぐると言い訳やら正当化やらエンドレスな思考にまみれた時、
アセンション思い出すと、

魔法のように現実が変わるわけでは無いけれど、
すっと思考の渦から抜け出せる感覚が
わかるようになりました。

こうしたちょっとした変化を実感出来ると、
また続けて行けそうです。

ありがとう!

*********

けいこさん、本当にありがとう。

アセンションは個人のペースで進めるものなので、一人で続けるもよし、人と集ってもよしですが、
私の場合は人と経験を分かち合うことで、色々な意味で助けになりました。なのでけいこさんの
話してくださっていることは、とてもよくわかります。

みなさんのことは、アメリカではあちこちでよくシェアしてます。アメリカのアセンション仲間は
とても感動したりしてます(^^)。

明日からのファーストスフィアで、またみんなさんのこと、シェアさせてもらうんじゃないかな。

1-10 of 17