恐れのない生き方 (その3)エゴなしで生きる

2019/11/06 15:07 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2019/11/06 15:08 に更新しました ]
さて前回のように、アセンションであまり役に立たない、不健康な思考パターンを遮り続けていくと、どんな風になるでしょうか。

ボーは20年前にアセンションを習い、教師になって11年です。
アセンションを続けることで起きた大きな変化の一つは、”自分”という感覚が薄れたことだと言います。
個体としての守らなくてはならない自分、という感覚が薄れ、全体の流れの中で自然に生きている感覚になると言います。

仕事は公務員ですが残業が多く、家に帰ってもほとんど毎日仕事しています。
大きな失敗が起きることもあります。長い1日をやっと終えてお風呂に入り、くつろいだ瞬間に、今終えた仕事に大きなミスがあったことを知らせるショートテキストが飛び込んできました。
風呂から即座に飛び出し、素っ裸でコンピューターに向かい、ミスを訂正。
10分ほど猛烈な勢いで仕事して、また風呂に戻ります。

ぶくぶくぶく・・・とお風呂に戻り、テキストを返しながら、笑みを浮かべています。
「大丈夫?」と聞くと、今思い出したように、信じられないしょうもないミスをした、と呆れたように頭を左右に振ります。私に聞かれる前には、すでにその出来事は頭から消えていた様子です。
「取り返せた?」と聞くと、全部は無理だったとのこと。
しかしそれ以上、何かしようとする様子もなく、気に病む様子もありません。

お風呂から上がると機嫌よくベットに潜り込み、翌朝も元気に仕事に向かいました。

翌日、帰宅後にミスの影響を聞いてみると、大変なミスではあるけれど、それ以上の余波はなく済んだとのこと。
「こんなミスをするはずじゃなかったのに、とか考えた?なんでこんなことになったんだ、なんて思考湧いた?」
と聞いてみると、じーっと考え、「そんなことは全然考えなかった」と言います。

「いつでも全力を尽くして生きている、ってわかっているから、それで何かが起きても、どうしてこんなことが起きたんだ、なんて発想は湧いてこない。”僕”が、”自分”が何かをしているのではなく、命がただ起きている、”愛”がただ起きているだけだから。」
たとえ自分が酷評されるような事態が起きても、起きていくることをすべて信頼していて、ただそれを受け止めます。

自分を責める、という感覚がどんなものだったか、思い出すのも難しい、と言います。
そんな風なので、人を責める、ということもまず起きないようです。
”ここが失敗だったな”とか、”この人はこういうことをしがちだな”などと客観的に認識することはあっても、”あいつがこんなことをしたせいで”、といったような発想がわくことがほとんどないのです。瞬間的にわくことがあっても、その思考を信じることがないので、すぐに流れていきます。

仕事で成功してもアチチュードを思い浮かべる。
ミスをしてもアチチュードを思い浮かべる。

そうしてごく自然に、人生の基盤が賛美・感謝・愛に変わっていくと、自分の中に自由な空間が増え、明晰さが増します。
周囲に対しても、自然と同じ目を向けるようになります。

人生の経験が、まったく違うものになります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

Twitterのフォローはこちらから→Follow @108ishayas