内的葛藤

2019/12/13 9:18 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2019/12/13 9:18 に更新しました ]
みなさんは頭の中で、一人検討会をしていますか?笑

あれをやろう、と思った次の瞬間に、やっぱりこれをしなきゃ、と別の考えが浮かぶ。
こうしたい、と思った次の瞬間に、でも前回こうしたらああなったし・・・、と否定する声がする。
自分の中の論争の声に耳を傾けているうちに結局、思いついたどれもせずに終わってしまう。

あれこれの声を聞いているのが行動に現れることもありますね。

会社の昼休みに、悩み事について尊敬する人に聞いて欲しいと思って携帯を持って道を歩き始める。
”いや、こんなくだらないことで彼女を煩わせるべきじゃない” という思いが湧いて気を落とし、来た道を戻り始める。。。。
”でも・・・やっぱり辛いし聞いて欲しい” また方向転換して道を歩き始める。
”あーやっぱり、こんなことで電話するのは恥ずかしすぎる。自分でなんとかするべきだ” また戻り始める。。。。

私はかつてはこんな些細な決断を下すのに、数日から1週間くらい思い悩んでいたこともあります。

私たちのマインドは、自分のなかの相反する思考に注意を奪われ、その力を散り散りにしています。
あれこれ考えすぎずに一つのことに取り掛かる。
ただこれだけの単純なことがで来たら物事はさっさと片付くのに、自分のなかの葛藤に時間とエネルギーを浪費して物事を終えられないことが、
実際にはどれほどあるでしょう?

さて、頭の中に色々な要素を検討する声が浮かぶのは悪いことなのでしょうか?

そんなことはありません。物事の色々な側面を考慮するのがとても大切な場合も多くありますし、
そもそもそれはごく自然に起きることですから、止めようもありません。
(人間は刺激に対して過去の記憶のファイルをチェックするようにできています。)

ただその思考の一つ一つに無意識に反応していると、先の例のように思いに囚われて身動きできなくなってしまいます。

どうやったら決断に至れるのだろう?
それより、どうやったら”正しい判断ができるのだろう?”

多くの人が抱く思いです。

自分の真実を見つめる手法を教えている、バイロン・ケイティという素晴らしい女性がいるのですが、彼女はこの質問に対し、
”決断は下すものではなく、訪れるもの” といいます。

でもそう聞くと、マインドはどう解釈するでしょう?
じーっと待つのだと思いがちですね。”答え”がくるのを待つのだと、待ち受ける姿勢になる。

自分のなかの葛藤と同じくらい、自分を疲れさせることになります。

アセンションでは、自分のなかの思考に気づいた瞬間に、アセンション・アチチュードを思い浮かべます。
論争が派手になって疲れた時点でようやく思い出すかもしれませんし、最初にどうしようかな、と思った時点でアセンションすることを
思い出すかもしれません。
これは習慣次第で変わって来ます。

アセンション・アチチュードはとても非個人的で美しいフレーズなので、
思い浮かべた時にマインドが小さくホッとします。
たとえすぐさま論争が続いても、またアセンションすることを思い出すなら、葛藤、内的争いを続けることは難しくなります。

マインドは一度に一つのことしかできないからです。

ゆるまった、リラックスしたマインドの状態は、何かを待ち受ける姿勢とは大きく異なり、
広々と、あらゆる可能性に自分を開く状態になります。

決断は訪れるものだ、というのは自分のごく自然な体験になります。

広々と、あらゆる可能性に自分が開かれている状態こそが、私たちの本来のあり方だからです。

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