人との関わりの変化

2019/11/28 16:02 に Kusum Ishaya が投稿   [ 2019/12/03 13:56 に更新しました ]


秋の紅葉を迎えると(少なくてもここ、テネシー州では、ほんのちょっとは秋があります^^)、ハロウィン、サンクスギビング、クリスマスと、アメリカは一気にホリデーシーズンを迎えます。今はサンクスギビングの真っ最中です。

サンクスギビングおよび(特に)クリスマスは、家族や周囲の人への感謝を表す大切な季節のイベントです。どうも本来の意義とか主旨から外れて贈り物合戦に走りがちなアメリカ人ではありますが、それでも家族・周囲に感謝を示し、行き交う人々の間でも、季節の挨拶を交わします。

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さて、今日はそんな人への感謝について。

アセンションを続けることによって、自分の中の古い習慣が落ちていくと、生活の色々な面で変化が出てきますが、私にとって大きかったものの一つは人との関わり方の変化です。

嫌われたらどうしよう、捨てられたらどうしよう、などという恐れが自分の中にある時、人はしがみつきがひどくなります。相手の顔色を見ながらそれに反応し、一喜一憂して生きるようになります。

 

相手の顔色を見ながら生きている時、私たちは起きていることをありのままに見る能力を失います。必然的に、相手のいうことも真っ直ぐに聞けませんし、人への感謝も失われます。

 

恐れで一杯の心やマインドには、感謝がわく余地がないのです。

 

また恐れで一杯の心やマインドは、防御や反撃にも走りがちです。

 

私たちの多くは、そういった恐れがあることすら気づかず、反応し続けていることがほとんどです。そうして人間関係がなんでこんなにしんどいのか、私はどうして好かれないのか、などと言った、現実離れした発想・思考に沈んでいくようになります。

 

アセンションを通して心身の緊張がほどけ、意識がゆったり広がり始めると、そんな自分の癖に“あら”、と気が止まるようになります。

 

そしてここがアセンションのいいところですが・・・

アセンションではその癖を治そうとか、分析しようとは一切しません。

 

ただゆったりと、淡々と、アセンションに戻り続ける。

 

気がつくと、多くの癖もその元であった恐れもなくなっていました。

同時に、コミュニケーションが起きるようになったことに気がつきました。

 

一生懸命時間をかけてお肉料理を作って出したのに、旦那さんが“野菜が食べたかった”と言う。

 

一生懸命料理したのに、なんだと思ってるの!何様のつもり?だいたいこの人っていつも自分勝手なのよ“云々、云々と沸き続ける怒りに取り憑かれる代わりに、

 

え、そうなの?(あらびっくり)でもお肉作っちゃったし・・・どうしたいの?“

とシンプルに質問がおきます。

 

旦那さんはただ本音を言っただけで終わるかもしれませんし、野菜を作り直して欲しいと言うかもしれません。作るか作らないかはその時によるでしょうし、外食することになるかもしれません。

 

じゃ、自分で作ってね“と言うかも知れません(^^)

 

可能性は無限です。

もちろん、ガッカリしたら、その気持ちも伝えます。

 

ただすべての背後に“嫌われるかも”“捨てられちゃうかも”“何か間違ったことしたかも”と言う無意識の恐れや心配のエネルギー、その反動の怒りのエネルギーがないとき、口から出てくる言葉は素直でシンプルなものになり、相手にも伝わりやすくなります。

 

自分の中の恐れ、それに基づいた習慣であるとか、信条であるとか、心のなかのルールが減ると、その分自分の中の空間が増えます。

 

相手に求めるものも自然と減ります。

こうしてくれて当たり前、なんて存在しないからです。

 

この時、私たちは初めて、自分の都合の良いように相手を折ることを願うのではなく、人をありのままに受け止めることができるようになります。

ごく自然に、相手のあるがままに感謝が湧きます。

 

アセンションでは、このテクニックが賛美・感謝・愛そして慈悲に基づいているが故に、そしてこれらの感情を人工的に生み出そうとしないが故に、ごく自然に簡単に、そういったあり方が私たちの中に取り戻され、培われていきます。


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