リトリート

Post date: Sep 07, 2015 11:29:2 PM

リトリートは日頃の生活習慣から離れて、アセンションを通じ、条件反射的に生きるのではなく、ただ在る、ということを経験したり、そこに深く沈むことができるとても貴重な機会です。それは教師にとっても例外ではありません。今日は以下に、ボーのリトリート・レポートを紹介します。

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つい最近、ノースカロライナ州で7日間のアセンションリトリートに参加し、一日のほとんどを目を閉じて、アセンション・アチチュードと呼ばれる小さな貴重な祈りに費やした。そして今日、アセンションのリトリートは真の意味での安息日だ、ということに気がついた。

馴染みのない人のために説明すると、安息日というのはユダヤ教やキリスト教の伝統で、信者は土曜あるいは日曜一日を世俗に影響を与えずに(世に自分の意志を反映・影響させることなく)過ごすよう求められる。よって仕事に行くことも、宗派によっては料理をすることも許されない。休むことを命じられるのだ。

リトリートでは目的ある活動を脇におき、アチチュードを繰り返すことを通して、私たちの本質の真実に目を向け続ける・・・長時間、目を閉じて。

もちろん、そこに見つかるのは無であるが、それは概念的な無ではなく、生気ある、純粋な可能性の、活力に満ちた空だ。同じく大事なことに、私というもの、幼い頃からあると想像し続けてきた、自立した個人というものも見つからない。自分、として想像していたものが、実はただ、無が創造物として、一つの思考、一つの感情、一つの感覚、一つの呼吸として、一つずつ現れているだけであるのを知る。現れに気づくこと自体も、現れである。個人の意志、決定者、考える人、行動者といったものが存在したことなどなかったのだ。個人性を想像しただけなのだ。

そこに、エゴを打ち砕く真実がある・・・そしてそれは、安息日の真の意味をあらわにする。

安息日というのは、世俗に影響を与えない(自分の意志を反映させない)ことを実践することなどではなく、むしろ個人として影響を与えた試しなどないのだ、ということに気づくことなのだ。肉体ー世界は神の創造であり、ただ神のみの創造なのだ。僕たちは神の現れなのだ。

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ハードコアなレポートと裏腹な、ボーのアセンションスタイル。日差しを避けるために帽子を目深にかぶってたようなのですが、珍光景を誰かがしっかり画像に収めたようです(^^)。

原文はこちら

I recently spent seven days at an Ascension retreat in North Carolina, spending most of the day with my eyes closed, using the precious little prayers we call Ascension Attitudes. Today I recognized this retreat as the real Sabbath.

For those of you unfamiliar with Sabbath, in the Jewish and Christian tradition there is a Sabbath on Sunday or Saturday where followers are commanded to not have an effect on the world and thus not allowed to go to work and in some cases not even cook. We are commanded to rest.

In retreat, we put aside purposeful activity and through repeated use of the attitudes, we continuously return our gaze to the truth of our nature....for a long time, with our eyes closed.

Of course, our gaze finds nothing, and not a conceptual nothing, but an alive, vibrant emptiness of pure potential. Just as importantly, we don't find our self, we don't find the independent person we've imagined since a young age. We see that what we imagined as our self is simply nothingness emerging as creation, one thought, one feeling, one sensation, one breath at a time. There is no person coordinating this emergence. The recognition of the emergence itself is emergence. There was never independent personal volition, a decider, a thinker, a doer. We imagined our own personhood.

And therein lies the ego-shattering truth...and it also reveals the real meaning of Sabbath.

Sabbath was never about practicing not having an effect on the world but was rather about realizing that we never did. The body-world is God's creation, and only God's creation. We're God's emergence.

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私自身も11月に、日本から参加して下さる方々と一緒に、アリゾナ州でリトリートに参加します。久しぶりのすべてを捨てられる時間、今からとても楽しみです。