アセンションの贈り物

Post date: Feb 09, 2016 11:56:40 PM

今週末はアラバマ州でコースを開催しました。地元から遠方から、新しい人、すでに習った人がたくさん来てくれて、

本当に楽しい、素晴らしいコースになりました。

すでに習った人たちの中には、もう10年以上続けている人から習って3ヶ月目の人まで、いろんな方がいました。

うち何人かは、私もアセンションを通じて長年知っている仲間ですが、みんなが自分の体験を話してくれるのを聞きながら、

数年前、あるいは数ヶ月前の彼らを思い出し、その変化に新ためて感慨を覚えたり。

3ヶ月前に習った、という人たちの、最初の感想と、それがどんな風に変化したか、という話に心を打たれたり。

変化は実際、最初のコースの最中に顕著に現れます。

たった3日間のコースだけれど、参加者のみんなは日を追うごとに顔が変わっていきます。

文字どおり、顔が変わっちゃうんです(^^)。

顔が柔らかくなる、というのは一番気づくことですが、子供のような無邪気な顔になっていく人も多々見ます。

すごく左脳的な人のガードが崩れて、力が抜けた結果、疲れているかように見えることもあります。

今回は学生時代フットボール選手だったという、それはそれは大柄な男性と、その仕事仲間でこれまた巨体の男性が

来てくれて、とても瞑想に興味を持つタイプに見えなかっただけに、非常にワクワクしたのですが、この巨体の男性は

3日目には目が大きくなっていました(^^)。

半年前に亡くなった奥様のことをみんなに話して涙ぐむような、とてもオープンな人でしたが、同時に”組織には自分は

合わない。必ず気に入らん奴が見つかるんだ。ふふん。”といった、斜に構えた姿勢が習慣になっていたので、目も

そういう風に横目になっていたんですね。

それが最初のアセンションで、”いや〜、くつろげるわ。これ簡単でいいわ。”

そして翌朝には、”いや、ぐっすり寝れたよ!息子にも習って欲しいな。”

続くコース中は、部屋がぎゅうぎゅうだったので、ここで初めて知り合ったゲイカップルの女性たちと、仲良く並んで横になって

アセンションするほどくつろいでくれ・・・

3日目にはすっかり防御が取れ、安心とくつろぎの結果、目はまっすぐ開かれて、自然に丸く、大きくなっていました。

私自身の変化は、”喉元過ぎれば熱さを忘れる”といった感じそのもので、普段はすっかり忘れて思い出せなかったりするのですが、

こうやって出会う人たちの変化を目の当たりにした時、”ああ、自分もこうだったなぁ”と、いろんなことを思い出したりします。

初めて習った時、イシャヤのアセンションが簡単・単純すぎてがっかりしたこと(笑)。

物事を頭の中で複雑化することに慣れすぎて、単純なものを単純にすることができす、無用な努力を継ぎ足していたこと。

アセンションに出会った頃、私の人生は恐れへの反応が基盤となっていました。

それがこの単純な瞑想法を続けるうちに転換し、今あることへの感謝がとてつもなく広がりました。

何かが起きるたび、無条件に感謝の気持ちが湧いてしまうのに気づくと、自分でも当惑する時があります。

人生はあんなに思うようにならない、気に入らない、不満足なものだったのに。

理由もなく、静かな喜び、ありがたみがふつふつとわく、自然にそこにあるのには、驚きを感じます。

そしてさらに自然に、アセンション・アチチュードが思い浮かびます。

”自分の本質がなにかは、誰もが一番よく知っていることよ。誰もそんなこと教えることはできないし、教わらなくてはならない人

なんて一人もいないのよ” というのは、私の師がいつも言うことです。

悟り、本質に目覚める、といったことは、私たちの本来ごく自然な状態なので、自然にしょっちゅう起きることですが、

目覚めたままでいる、というのは簡単には起きません。

これまで培ってきた習慣、眠りにコトリ、と落ちます。

”イシャヤのアセンションはどうやるか、じゃない。在り方を教えてるんだ。” と言ってくれたのは、元フットボール選手の彼ですが、

この自然さで、単純さで、静かな美しさで、繰り返し目を覚ますことを可能にしてくれる瞑想法に出会えたことに、

深いありがたみを覚え続けます。